コルチャック先生の生涯と言葉

彼の生涯と主な作(1878-1942年)

1878(9)年 7月22日 ロシア帝国領植民地ポーランドワルシャワに生まれ、本名ヘンルィク・ゴールドシュミット


1898年 大学医学部入学 新人作家としても有名になる。ペンネーム ヤヌシュ・コルチャック

「子どもは、だんだんと人間になるのではなく、すでに人間である。彼らの理性に向かって話しかければ、我々のそれに応えることもできるし、心に向かって話しかければ、我々を感じとってもくれる。子どもは、その魂において、我々がもっているところのあらゆる思考や感覚をもつ才能ある人間なのである。」●1899年『19世紀隣人愛思想の発展』

1901年 「街頭の子ども」
1904-5年「サロンの子ども」

「成熟した大人とは、何のために生き、人々とどのように関わり、また、人類の歴史にどのように関わるのかということを知っており、そして、そのことに依拠して行動する人である。 学校は、最も崇高なるスローガンが鍛えられる鍛冶場であり、そうなることを義務づけられており、そこを通じて生命が吹き込まれるすべての者が通過すべき場なのである。すなわち、学校は、何よりも声高に人間の権利を要求しそれを汚されることをだれよりも勇敢にまた容赦なく糾弾することを義務づけられている。 」●1905年『現代の学校』

1905年 小児科病院に勤務/家庭訪問医もする/この間活発な夏季コロニー活動 

「もし、思考と感性と意欲のアメーバを、それらがどのように発達し分離し複雑化するのかといったレベルまで研究しようと欲するなら、私達は乳児に向き合わなければならない。ただ際限のない無学と見解の浅はかさだけが見落としてしまうことだが、 ・・・乳児というのは、それ自身、生まれつきの気質と知性の諸力と心身の感覚と生きた経験から成り立っている・・・一個の人格である 。」●1918『子どもをいかに愛するか』

1912年 孤児院”孤児の家”創設・院長に

 孤児の家(写真はコルチャックではない)
1914-18年 第一次大戦従軍医 戦下『子どもをいかに愛するか』を書き始める
1918年 ワルシャワ帰還     孤児院での経営・養育活動再開
1920年代 彼の黄金時代   教育学作品や児童文学作品を次々に発表する

「私は、自由の大憲章を、子どもの権利を訴えたい。おそらく、それらよりもっと大きなものになるだろうが、私は3つの基本的なものを規定する。
  1.子どもの死に対する権利。
  2.今日という日に対する子どもの権利。
  3.子どもがあるがままでいる権利。
 子どもは、これらの権利を受け取りながら、可能な限り少なく過ちを犯すことを知るべきである。過ちは避け難い。心配には及ばない、子どもは自分でそれを正すようになる、驚くほど注意深く。ただ、我々がこの価値ある才能や彼の防御の力を弱めなければの話である。」●918-20『子どもをいかに愛するか』

「 ある日森の中で話をしたときのこと。私ははじめて、子どもにではなく、子どもと話をしたのである。それも、私が望むところの彼らがどうあるべきかということについてではなく、彼ら自身がどのように望みどのようにありうるかということについて、彼らと話をしたのである。」●918-20『子どもをいかに愛するか』

「・・・百人の子どもは百人の人間だ。それは、いつかどこかに現れる人間ではない。まだ見ぬ人間でもなく、明日の人間でもなく、すでに今、人間なのだ。小っちゃな世界ではなく、世界そのものなのだ。小さな人間ではなく、偉大な人間。「無垢な」人間ではなく,人間的な価値,人間的な美点,人間的な特徴,人間的な志向,人間的な望みを確かに持った存在なのだ」●1918-20『子どもをいかに愛するか』

1922年 児童向け作品 『王様マチウシ一世』1923年  『孤島のマチウシ』 

王様マチウシ一世の挿絵コルチャック記念切手

1925年 『もう一度子どもになれたら』

1926年 子どもとの子どものための週刊新聞『小評論』発行

1929 『子どもの尊重される権利』刊行

 

「長年の経験からますます明らかとなってきたことは、子どもは尊敬され信頼するに値し、友人としての関係に値するということだ。そして、優しい感性と陽気な笑い、純真で明るく愛嬌ある喜びを我々は彼らと共にすることができるということ。この仕事は、実りある生きいきとした、美しい仕事であるということも。」 ●1929 『子どもの尊重される権利』

「…このラジオ番組のおしゃべりでもうひとつ試みていること。それはおもしろおかしく…こまかいことにこだわらず、好意的に確信をもって、子どもの中に人間を見ることです。けっして軽蔑することなく。」 ● 1939『おもしろ教育学』

「私は子どもと遊んでいるか話をしている。そこには、私と彼の生活の成熟した二つの瞬間が、ひとつに、編み込まれている。 ・・・」 ●1929『子どもの尊重される権利』

「大人と子どもの人生が二本の並行したラインにそって走るというような、そんな幸福な時間はいつ来ることだろうか。 」 ●1939『おもしろ教育学』

 

1939年 ナチスドイツポーランド侵攻 第二次世界大戦の開始

1940年  孤児の家 ゲットーへの移送命令

1942年8月5日 ゲットー内「最後の行進 」  貨車でトレブリンカへ